依存と従属

安全保障での「米国依存」は「従属」を意味しない

「日本は『属国』から脱却出来るか」と題する1月12日付の池田信夫先生の記事は、色々な考え方の組み合わせが簡単なマトリックスで示されており、大変啓発的だが、やや粗雑に過ぎる点があるので、ここで反論してみたい。

結論から言うなら、「憲法を改正した上で、従属度を低めた親米路線を継続する事は可能だ」というのが私の考えだ。池田先生もそんなに本気で言っておられるわけではないと思うが、「現状維持でのんびりやっていくのがいいのかも」というのは、日本人の政治意識がいつまでも曖昧で低いレベルに留まるのを許容しようとしている事を意味するので、賛成できない。このような状態が続いていると、外部環境が大きく変わって、それまでに考えてもいなかった外部からの圧力がかかった時に、とんでもない過ちを犯す可能性があるからだ。

米国に大きく依存する国として、日本、イスラエル、英国を総称するJIBという言葉があり、「米国の経済力が弱まっている現状ではJIBは困難な立場におかれざるを得ない」と言う人たちがいる。自国を明確に敵視するアラブ諸国に囲まれた「顕在リスク」をもつイスラエルと、巨大で野心的な中国に隣接しているという「潜在リスク」があるだけの日本を同列に扱うのは如何かとは思うが、この事は日本人としても当然考えておかねばならないだろう。私は現状で日本が米国に「従属」しているとは全く思わないが、大きく「依存」している事は間違いないからだ。

そもそも「従属」という言葉は、感情的な反発を招きやすい言葉だから、慎重に使ったほうがよい(というか、この言葉を使う人は、それによって敵愾心を煽ろうとしているケースが多いので、注意したほうがよい)。軍事的には、米国を除けば、一国だけで自らの安全を保証出来る国は殆どなく、強いて言うなら中国とロシア位だろう。だから、日本が米国なしには自国を守れないという現状を、そんなに恥ずかしく思う必要も無いし、それ故に日本が米国に「従属」していると考えるのも妥当ではない。要するに、国際関係の多くはギブ・アンド・テイクの契約関係であり、米国とて、自国に何のメリットもないと判断すれば、韓国からも日本からもさっさと引き上げるだろう。

多くの人が指摘するように中国には核があり、日本には核がない(ちなみに、韓国がもし中国の暗黙の承認の下に北朝鮮を併合したら、彼等は北朝鮮の核施設を温存しようとするかもしれない)。だから、勇ましい言葉が大好きな一部の日本の自主防衛派は、次には必ず核の自主開発を主張するだろう。そうしなければ、全ての論理のベースが破綻するからだ。

「五カ国だけが核の保有を許され、他の国は許されていない」という現在の核不拡散条約は、勿論「公正」とは言い難い。しかし、この体制をやめてしまえば、核は世界中に無秩序に拡散し、人類滅亡の時期は大幅に早まる。それでは、これに代わる「より公正な仕組み」があるかと言えば、全く何も思いつかない。「核を全廃する」という理想論は、現在の保有国が受け入れるわけはないので、実現するわけはない。という事は、日本としても現状維持しか選択肢はなく、その上で、中国と対等の立場を維持しようとすれば、米国の核の傘の下に入るしかない。

つまり、一部の人が夢想するような、純粋な「自主防衛論」というものはそもそも存在し得ないのであり、「日米同盟の枠内での自主性と自己負担の拡大」のみが、中国との対等の立場を堅持する為の「日本にとっての唯一の選択肢」であると考えざるを得ない。オバマ政権下においては、今後とも「内政」が米国にとって最大の問題となり、軍事予算は削減せざるを得なくなるだろうから、日本が応分の負担を渋るようなら、アジアでの中国の覇権をある程度容認するところまで米国は後退する可能性すらある。「日本が子供っぽい国粋主義に再び傾斜して危険な火遊びをするなら、それはそれで仕方ない」と割り切るかもしれない。

かつての東西冷戦下では、日本では「非武装中立論」が相当な説得力を持っていた。若い頃の私自身もかなりその考えに近かった。米国と中ソが戦争状態に入れば、米軍の基地のある日本はソ連空軍の空襲の対象になりうるし、米国側の前線に位置する日本全土が嫌でも激戦区になってしまう恐れがあったからだ。しかし、この時の「非武装中立論」は、二つの「非現実的な楽観論」に支えられていた。一つは「中ソは非武装中立の国には干渉しない」という考えで、もう一つは「中ソの影響下に入って資本主義から社会主義に移行したほうが国民は幸せになれる」という考えだった。

現時点においては、多くの国民はソ連の崩壊や中国・北朝鮮の現状から多くの事を学んでおり、福島瑞穂さんのような一部の超楽観主義者を除いては、「非武装中立」で安心出来ると考える人は少なくなっているだろう。一時期、日本の小鳩政権は、日本は中国と米国を均等に扱い、両天秤にかけられると夢想したが、「偉大な中華の夢」と称する「拡大主義」を謳い上げ、尖閣では一触即発の対決姿勢を崩さない中国の現状を見れば、最早そのような夢想をする人も極めて少数になっているだろう。結果として、現時点では「日米同盟」以外の選択肢を説得力をもって語れる人は殆どいないと思われる。

さて、池田先生もここまではご異論はないと思うが、この後に「憲法改正」イコール「米国に依存(従属)しない、純粋な自主防衛路線への転換」という論理の飛躍がある。

私は前回の記事で、日本は「普通の国」になる事を志向すべきという趣旨の事を書いたが、「憲法改正」は日本が「普通の国」になる為の必須条件だと思っている。それが、「憲法改正」を出来るだけ早い時期にやるべきだと私が考える最大の理由でもある。

更に言うなら、「歴史認識」問題を一日も早く決着させて、中・韓の誤解を解く事の必要性を私が熱心に説いているのも、その手順を踏まないと「憲法改正」という「普通の事」すらもが、中・韓のみならず欧米からも、色眼鏡で見られる恐れがあるからだ。その文脈で言うなら、私とて今は立場を若干変えて、「憲法改正は必要だが、現在の安倍政権下での憲法改正は望ましくない」と言わざるを得なくなってしまったのかもしれない。

現実には「憲法改正論者」には単純な右派の人たちが多く、この人たちは「現在の憲法は米国に押し付けられたものだ」となおも声高に叫んでいるが、こんな滑稽な事はない。終戦直後は、米国には「日本を再び軍事的に強力な国にしてはならない」という明確な目的があったから、第9条等を押し付けたのは当然だったが、サンフランシスコでの平和条約締結後は、何をするのも日本の自由だから、「日本は当然憲法改正をするだろう」とみんなが考えていた筈だ。にも関わらずそうならなかったのは、「非武装中立」を是とする社会党等が反対したからであり、何も米国が反対したわけではない。

最後に、「依存」と「従属」は異なり、日米関係においては「依存」は不可避だが「従属」する必要はないという事を、もう一度声を大にして言いたい。

「従属」の典型例として、「日米地位協定」の事を池田先生も挙げておられるが、これは、若干条文を改訂すれば済む事だ。米国は同じような協定を世界の各国で結んでいるが、これは、「どんな国においても、駐留している米軍の管轄下にある人間に対しては、米国と同じレベルの『公正で民主的なルール』が適用される事を保証する」ものであり、それ自体は「妥当」と考えるべきだ。但し、現実には、犯罪を犯した米兵の扱いが寛大に過ぎるという事が屢々起こっており、これが地元住民の怒りを買い、一般の日本人の誇りも傷つけている。

こういうことが起こらないように、現在の地位協定を丁寧に見直し、改めるべき事を改める事は、「犯罪には何処の国でも厳しく対処して再発を防ぎ、併せて駐留している国の反発も買わないようにする」という意味で、米国の為にもなる事だ。これをどんどんやっていかないとすれば、その理由が分からないし、当事者は怠慢の誹りを免れないだろう。

私は、この記事を読んで、無性に、置換したくなった。

日米 → 男女
米国 → 男性
日本 →女性
米 → 男

に置換

「女性は『属国』から脱却出来るか」と題する1月12日付の池田信夫先生の記事は、色々な考え方の組み合わせが簡単なマトリックスで示されており、大変啓発的だが、やや粗雑に過ぎる点があるので、ここで反論してみたい。

結論から言うなら、「憲法を改正した上で、従属度を低めた親男路線を継続する事は可能だ」というのが私の考えだ。池田先生もそんなに本気で言っておられるわけではないと思うが、「現状維持でのんびりやっていくのがいいのかも」というのは、女性人の政治意識がいつまでも曖昧で低いレベルに留まるのを許容しようとしている事を意味するので、賛成できない。このような状態が続いていると、外部環境が大きく変わって、それまでに考えてもいなかった外部からの圧力がかかった時に、とんでもない過ちを犯す可能性があるからだ。
男性に大きく依存する国として、女性、イスラエル、英国を総称するJIBという言葉があり、「男性の経済力が弱まっている現状ではJIBは困難な立場におかれざるを得ない」と言う人たちがいる。自国を明確に敵視するアラブ諸国に囲まれた「顕在リスク」をもつイスラエルと、巨大で野心的な中国に隣接しているという「潜在リスク」があるだけの女性を同列に扱うのは如何かとは思うが、この事は女性人としても当然考えておかねばならないだろう。私は現状で女性が男性に「従属」しているとは全く思わないが、大きく「依存」している事は間違いないからだ。
そもそも「従属」という言葉は、感情的な反発を招きやすい言葉だから、慎重に使ったほうがよい(というか、この言葉を使う人は、それによって敵愾心を煽ろうとしているケースが多いので、注意したほうがよい)。軍事的には、男性を除けば、一国だけで自らの安全を保証出来る国は殆どなく、強いて言うなら中国とロシア位だろう。だから、女性が男性なしには自国を守れないという現状を、そんなに恥ずかしく思う必要も無いし、それ故に女性が男性に「従属」していると考えるのも妥当ではない。要するに、国際関係の多くはギブ・アンド・テイクの契約関係であり、男性とて、自国に何のメリットもないと判断すれば、韓国からも女性からもさっさと引き上げるだろう。
多くの人が指摘するように中国には核があり、女性には核がない(ちなみに、韓国がもし中国の暗黙の承認の下に北朝鮮を併合したら、彼等は北朝鮮の核施設を温存しようとするかもしれない)。だから、勇ましい言葉が大好きな一部の女性の自主防衛派は、次には必ず核の自主開発を主張するだろう。そうしなければ、全ての論理のベースが破綻するからだ。
「五カ国だけが核の保有を許され、他の国は許されていない」という現在の核不拡散条約は、勿論「公正」とは言い難い。しかし、この体制をやめてしまえば、核は世界中に無秩序に拡散し、人類滅亡の時期は大幅に早まる。それでは、これに代わる「より公正な仕組み」があるかと言えば、全く何も思いつかない。「核を全廃する」という理想論は、現在の保有国が受け入れるわけはないので、実現するわけはない。という事は、女性としても現状維持しか選択肢はなく、その上で、中国と対等の立場を維持しようとすれば、男性の核の傘の下に入るしかない。
つまり、一部の人が夢想するような、純粋な「自主防衛論」というものはそもそも存在し得ないのであり、「男女同盟の枠内での自主性と自己負担の拡大」のみが、中国との対等の立場を堅持する為の「女性にとっての唯一の選択肢」であると考えざるを得ない。オバマ政権下においては、今後とも「内政」が男性にとって最大の問題となり、軍事予算は削減せざるを得なくなるだろうから、女性が応分の負担を渋るようなら、アジアでの中国の覇権をある程度容認するところまで男性は後退する可能性すらある。「女性が子供っぽい国粋主義に再び傾斜して危険な火遊びをするなら、それはそれで仕方ない」と割り切るかもしれない。
かつての東西冷戦下では、女性では「非武装中立論」が相当な説得力を持っていた。若い頃の私自身もかなりその考えに近かった。男性と中ソが戦争状態に入れば、男軍の基地のある女性はソ連空軍の空襲の対象になりうるし、男性側の前線に位置する女性全土が嫌でも激戦区になってしまう恐れがあったからだ。しかし、この時の「非武装中立論」は、二つの「非現実的な楽観論」に支えられていた。一つは「中ソは非武装中立の国には干渉しない」という考えで、もう一つは「中ソの影響下に入って資本主義から社会主義に移行したほうが国民は幸せになれる」という考えだった。
現時点においては、多くの国民はソ連の崩壊や中国・北朝鮮の現状から多くの事を学んでおり、福島瑞穂さんのような一部の超楽観主義者を除いては、「非武装中立」で安心出来ると考える人は少なくなっているだろう。一時期、女性の小鳩政権は、女性は中国と男性を均等に扱い、両天秤にかけられると夢想したが、「偉大な中華の夢」と称する「拡大主義」を謳い上げ、尖閣では一触即発の対決姿勢を崩さない中国の現状を見れば、最早そのような夢想をする人も極めて少数になっているだろう。結果として、現時点では「男女同盟」以外の選択肢を説得力をもって語れる人は殆どいないと思われる。
さて、池田先生もここまではご異論はないと思うが、この後に「憲法改正」イコール「男性に依存(従属)しない、純粋な自主防衛路線への転換」という論理の飛躍がある。
私は前回の記事で、女性は「普通の国」になる事を志向すべきという趣旨の事を書いたが、「憲法改正」は女性が「普通の国」になる為の必須条件だと思っている。それが、「憲法改正」を出来るだけ早い時期にやるべきだと私が考える最大の理由でもある。
更に言うなら、「歴史認識」問題を一日も早く決着させて、中・韓の誤解を解く事の必要性を私が熱心に説いているのも、その手順を踏まないと「憲法改正」という「普通の事」すらもが、中・韓のみならず欧男からも、色眼鏡で見られる恐れがあるからだ。その文脈で言うなら、私とて今は立場を若干変えて、「憲法改正は必要だが、現在の安倍政権下での憲法改正は望ましくない」と言わざるを得なくなってしまったのかもしれない。
現実には「憲法改正論者」には単純な右派の人たちが多く、この人たちは「現在の憲法は男性に押し付けられたものだ」となおも声高に叫んでいるが、こんな滑稽な事はない。終戦直後は、男性には「女性を再び軍事的に強力な国にしてはならない」という明確な目的があったから、第9条等を押し付けたのは当然だったが、サンフランシスコでの平和条約締結後は、何をするのも女性の自由だから、「女性は当然憲法改正をするだろう」とみんなが考えていた筈だ。にも関わらずそうならなかったのは、「非武装中立」を是とする社会党等が反対したからであり、何も男性が反対したわけではない。
最後に、「依存」と「従属」は異なり、男女関係においては「依存」は不可避だが「従属」する必要はないという事を、もう一度声を大にして言いたい。
「従属」の典型例として、「男女地位協定」の事を池田先生も挙げておられるが、これは、若干条文を改訂すれば済む事だ。男性は同じような協定を世界の各国で結んでいるが、これは、「どんな国においても、駐留している男軍の管轄下にある人間に対しては、男性と同じレベルの『公正で民主的なルール』が適用される事を保証する」ものであり、それ自体は「妥当」と考えるべきだ。但し、現実には、犯罪を犯した男兵の扱いが寛大に過ぎるという事が屢々起こっており、これが地元住民の怒りを買い、一般の女性人の誇りも傷つけている。
こういうことが起こらないように、現在の地位協定を丁寧に見直し、改めるべき事を改める事は、「犯罪には何処の国でも厳しく対処して再発を防ぎ、併せて駐留している国の反発も買わないようにする」という意味で、男性の為にもなる事だ。これをどんどんやっていかないとすれば、その理由が分からないし、当事者は怠慢の誹りを免れないだろう。

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