オスカー・ワイルドワールド

オスカー・ワイルドは二元性を理解していた。

ロマン主義のあらゆる情熱とギリシア的な魂の完璧さをすべて備えた新しい絵画を。精神と肉体の調和だ。なんとすばらしい!我々は狂気のうちにこの二つを引き裂き、俗悪なリアリズムと空虚な観念主義を作り出した。
魂と肉体、肉体と魂、何と神秘的なのだろう。魂はどこか動物的であるし、肉体にはときに精神を感じさせる瞬間がある。感覚は浄化されることがあるし、知性は堕落することごある。どこまでが肉体的衝動で、どこからが精神的衝動だと、いったい誰にわかるだろう?
凡庸な心理学者たちの勝手な定義はなんと浅薄なことか!しかし数ある学派の主張のどれを選ぶかは決めがたい!魂とは罪の家にやどる影なのか?あるいはジョルダーノブルーノが考えたように、肉体は魂の中にあるというのは本当なのだろうか?物質と精神の分離は謎に満ち、物質と精神の融合も謎である。

「ドリアン・グレイの肖像」より

ワイルドにとって、キリストは歴史上「最高の芸術家」であった。キリストは精神と肉体、外面と内面、形式と内容などといったすべての対立物を統合する、いわば「存在の統一性」を達成したロマン主義的な芸術家だからである。

ユリイカ「オスカーワイルドの世界」より

悲哀のあるところには聖地がある。いつか人々はこの意味を身にしみて悟ることであろう。

われわれは自分たちの時代を功利的な時代と呼んでいる。しかしわれわれは何一つその効用を知らない。水は物を洗い清め、火は物を浄化しうることを忘れ、大地はわれわれすべてにとって慈母であることを忘れている。その結果として、ギリシアの芸術は、太陽の芸術であり、直接に物を取り扱っているに反して、われわれの芸術は月の芸術であり、影と戯れている。自然の根源的な力には、浄化作用が必ずあるに相違ないと私は感じている。そして私はその力に還ってその面前で生活したいと思う。

「獄中記」より

オスカーワイルドといえば同性愛。
歴史の授業で習えなかった同性愛

そういえば、ダブリンでは普通に男同士のカップルが手をつないでイチャイチャしながら歩いてるのをよく見かけたなあ。
でも美しいので、ステキな感じでした。